瀬戸内海は日本最大の閉鎖性海域であり、その東部には流入量の大きい河川が多い。沿岸域における物質輸送と生物生産が堆積物中の生物源有機分子組成にどのように記録されるのかを理解するため、瀬戸内海の表層堆積物中の藻類バイオマーカーの分析を行った。真正眼点藻に由来する長鎖アルキルジオールに占める C32 ジオールの割合は、淀川水系で顕著に高く、大阪湾の湾奥部から紀伊水道にかけて低下した。淀川水系でC32ジオールが卓越することから、C32ジオールの割合は、沿岸域における河川水流入指標となることが示唆された。ステロール組成に占める渦鞭毛藻由来ステロイドの割合は瀬戸内海、太平洋黒潮域、淀川水系 の順に高く、沿岸域で渦鞭毛藻生産が盛んであることが示唆された。陸水から外洋にかけての複数の藻類バイオマーカーの分布パターンと沿岸域の環境の対応関係から、藻類バイオマーカーの環境指標としての特徴を議論する。
白亜紀のような温室期における陸域の環境・生態系を復元することは、温暖化環境での陸域の長時間スケールの応答を理解する上で重要である。本研究では、北海道中南部に分布する白亜系蝦夷層群函淵層で見られる石炭層を対象にバイオマーカー分析を行い、陸上古環境の復元・解析を試みた。酸性環境の泥炭地に特徴的なC31αβ-ホモホパンが卓越して検出された。また、αβ-ホパンのC31/C30比とn-アルカンのACLとの間に相関関係がみられたことから、環境の変化に植生が応答していたことが示唆される。裸子植物由来のジテルペノイドでは、2-メチルレテンおよびその前駆物質であると考えられるシモネライトが卓越して検出された。石炭層毎のレテン/シモネライト比の変化は、裸子植物種の寄与を反映している可能性がある。n-アルカンが植物相全体の成分を反映する一方、ジテルペノイドは森林植生の成分を強く反映している可能性がある。
海洋における130 myr.間の硫黄同位体比変動は、バライト(BaSO4)の値が採用されている(Paytan et al., 2004)。しかし、バライトは、生物生産の盛んな地域の堆積物からしか抽出できないという問題点がある。そこで近年、炭酸塩に含まれる硫酸イオン(CAS)の硫黄同位体比が注目されている。本研究では、同一堆積物から抽出されたバライトとCASの硫黄同位体比を比較し、古海洋の復元にCASが利用可能であるかを検討した。CASとバライトの硫黄同位体比について、CASの値は、バライトのものよりも約1‰高い値を示した。この違いが生じた原因について、バルク試料中の炭酸塩部分は、石灰質ナンノとともに少量の再結晶方解石から構成されていた。再結晶方解石中の硫黄同位体比は、硫酸還元により高くなった間隙水中の値を反映すると考えられる。それに伴ってCASの硫黄同位体比は、海水の値よりも高い値を示したと考えられる。
海洋堆積物中の長鎖アルキルジオールはC28、C30が卓越し、C32 アルカン-1,15-ジオールが長鎖アルキルジオールに占める割合が高い事例は湖沼堆積物や淡水・陸上から単離された真正眼点藻の培養試料などに限られていて、沿岸~河口域におけるジオール組成の検討によりC32 アルカン-1,15-ジオール (C32 1,15-ジオール)が河川流入指標となる可能性が指摘されている。本研究では半閉鎖的海域で流入河川の多い瀬戸内海東部の大阪湾・播磨灘の表層堆積物中の長鎖アルキルジオール分析を行い、瀬戸内海の広い範囲でC321,15-ジオールが太平洋よりも高い割合で含まれることが明らかになった。大阪湾奥部から紀伊水道にかけてのC32 1,15-ジオール割合の変化が瀬戸内海において河川流入指標として妥当であるのか、観測データや異なる起源をもつバイオマーカー組成と比較して議論する。