権左 武志 (ゴンザ タケシ)
法学研究科 法学政治学専攻 政治学講座 | 特任教授 |
Last Updated :2024/12/06
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■研究活動情報
共同研究・競争的資金等の研究課題
- ドイツ連邦主義の連続と断絶に関する多角的研究:ワイマール期を中心とする比較考察
科学研究費助成事業
2011年04月01日 - 2014年03月31日
権左 武志, 飯田 芳弘, 遠藤 泰弘, 林 知更, 今野 元, 田口 正樹
ワイマール憲法の制定過程で、プロイセンを解体し、ラントを再編するという憲法起草者プロイスの構想は挫折し、第二帝政の連邦制構造は基本的に維持された。この結果、民主的単一国家を目指したライヒ改革が、ワイマール期に継続して論じられ、既存の境界を流動化する地方史の研究も開始された。ワイマール末期には、プロイセン政府の罷免以来、ライヒ改革が再活性化し、連邦主義批判が、ライヒ総督法による単一国家化を進める主要要因となった。戦後ドイツでは、連合国、特に合衆国とフランスの主導により、プロイセン解体とラント再編が実行された一方で、単一国家が脱集権化されて、連邦制構造が回復された。
日本学術振興会, 基盤研究(B), 北海道大学, 23330038 - ヘーゲル世界史哲学にオリエント世界像を結ばせた文化接触資料とその世界像の反歴史性
科学研究費助成事業
2009年 - 2011年
神山 伸弘, 石川 伊織, 板橋 勇仁, 栗原 裕次, 柴田 隆行, 田中 智彦, 東長 靖, 橋本 敬司, 早瀬 明, 久間 泰賢, 権左 武志
ヘーゲルの世界史哲学講義(1822/23)については、本邦では、その世界像を結ぶための文化接触資料が必ずしも明確でなく、そのオリエント論に対する評価も低い。この事情を批判しながら、本邦ではじめてその資料源泉を探求しつつ本講義を翻訳し訳註を付するなかで、ヘーゲルのオリエント世界像は、ヨーロッパに映った近代オリエント世界像として反歴史的な空間的併存を示すとともに、ヨーロッパ的普遍史を脱却する歴史的理解も示しており、これらを通じて-ロマン派批判も込められたかたちでの-オリエントとヨーロッパの相互承認関係を展望していることが明らかになった。
日本学術振興会, 基盤研究(B), 跡見学園女子大学, 21320008 - 帝国モデルと主権国家モデルの理論的-歴史的比較考察:超国家的連邦制の学際的研究
科学研究費助成事業
2007年 - 2010年
権左 武志, 田口 正樹, 山本 文彦, 守矢 健一, 遠藤 泰弘, 今野 元, 林知 更, 守矢 健一, 今野 元, 林 知更
旧帝国の超ドイツ的性格は、ドイツの国家形成を外部に対し開放的に、内部に対し重層的に規定した点、ヴェストファーレン条約は、人的な封建団体という旧帝国の伝統的権利を再確認した点が、中世・近世期から明らかになった。他方で、旧帝国の崩壊に伴い、個別国家に取り入れられた主権国家モデルは、教会財産を没収する世俗化の過程を通じ、帝国の封建団体的性格を清算する意義を持った点、第二帝政の崩壊に伴い、連邦国家という帝国モデルの欠陥が自覚され、単一主権国家への国制改革が議論された一方で、ワイマール憲法では連邦制的構造が基本的に維持された点が、近現代期から明らかになった。
日本学術振興会, 基盤研究(B), 北海道大学, 19330028 - 国家主権と帝国-ドイツにおける主権概念の歴史的前提と形成に関する多角的研究-
科学研究費助成事業
2003年 - 2005年
権左 武志, 田口 正樹, 山本 文彦
本研究は、帝国崩壊を体験した一九世紀初期ドイツから、一七世紀宗教内戦を終わらせたウェストファリア条約、そして聖俗両権の抗争から成立した一四世紀の金印勅書までさかのぼり、主権概念の起源と系譜を歴史的に解明した。
1.従来ウェストファリア条約により宗派対立の時代は終息し、主権国家システムが成立したと考えられてきたが、これは神聖ローマ帝国には当てはまらず、二点において修正を要する。(1)フランス宗教内戦から成立したボダン主権概念は、一七世紀帝国で最初に受容されたとき、帝国と領邦の間で主権が分割された現状を正当化し、主権と異なる領邦高権を基礎付ける機能を果たした。山本文彦は、一六四八年以後も存続した帝国と領邦間の主権分割状況を、条約本文に確認した上で、この条約に規定されなかった「郵便権」の問題、つまり近代国家のインフラとして整備され始めた交通・通信手段の管轄権限をめぐる帝国と領邦の関係を、北ドイツ諸侯中心に解明した。(2)ウェストファリア条約で法的に解決された宗派対立の問題は、政治的には未解決なまま、七年戦争やドイツ啓蒙の言説を規定し、普墺対立の宗派政治的背景をなした。田口正樹は、多元的な帝国国制の中世的起源を、金印勅書に至る一四世紀帝国の政治過程に探り、聖界諸侯の指導的役割、そこから生じた教皇権の優位、他王国との関係を指摘して、帝国における聖俗関係の比重というその後の宗派問題の前提を明らかにした。
2.一九世紀ドイツ史では、従来プロイセン中心の国民史観の下で、帝国解体とこれに続く改革期の意味は充分に問われなかったが、ライン同盟改革期の意義が近年指摘されている。つまり帝国の崩壊に伴い、主権概念が同盟規約で承認された一方で、(1)ライン同盟が主権国家の連合体という「国家連合」か、それとも帝国同様の「連邦国家」か、(2)旧帝国国制との断絶を図るか、それとも連続性を保つかが、ライン同盟公法学者の主権概念論争で争われた。権左武志は、ヘーゲルによる主権概念の第二の受容と定式化が、こうした帝国解体とライン同盟改革の経験から理解できることを解明し、ナポレオン法典受容を例として、主権概念が帝国に見られなかった近代化推進作用を有していた点を指摘した。
日本学術振興会, 基盤研究(C), 北海道大学, 15530085